宗教において神は絶対的な存在ですが、その”あり方”というのは宗教ごとに異なっていたりします。ではイスラム教においてのムスリム(イスラム教徒)と神についてはどうなのでしょか?

一神教

イスラム教は一神教です。この世を創造したのは神であり、この世にはその絶対唯一の神が存在するという宗教でユダヤ教やキリスト教も同じです。ちなみに日本の神道では、自然界の様々なところに存在し、仏教では仏様を守る神様が何人も存在する多神教です。イスラム教では神様の事を「アッラー」と言いますが、これはアラビア語での「神様」、さらには「唯一神」という意味になります。つまり、イスラム教とは「唯一絶対のアッラーに従う」ということになりますが、この事を「唯一絶対のアッラーに服従する事」と主体性を否定するイメージで捉える人が多くいるようですが解釈としては「唯一絶対のアッラーに委ねる」という、大きな事象の中で神が全てを受け入れてくれるのだから、自分たちはその神に従うという事であり、さらには物事の良い悪いを含めた結果は神によるものという考えに近いのではないかと、知り合いのムスリムを見ていると思います。

偶像崇拝の禁止

コーランの中では偶像崇拝は禁止されています。そのためイスラム教においては仏教における仏像や、キリスト教におけるマリア像、キリスト像、十字架のようなものがありません。そのため、アッラーの彫刻や絵画はもちろん、預言者であるムハンマドの肖像画も存在しません。ちなみにこの考え方はユダヤ教も同じです。そのため、モスクというムスリムの礼拝所でも、人や動物をかたどったものはありません。その代わりか、様々な幾何学模様やアラビア文字をかたどったデザイン等が多くみられます。その美しさは、イスラム教ならではの教えに基づいて発展してきた芸術の一つと言えるのかもしれません。

礼拝

ムスリムは神と礼拝で対峙します。イスラム教の礼拝というとモスクをイメージされる方も多いと思います。モスクというのは単なる「礼拝所」です。というのも、イスラム教にはキリスト教やお寺の神父さんや檀家さんのような人達をかかえるという考えがありません。偶像崇拝は禁止されていますからマリア像や仏像のようなものもなく、メッカの方角へ礼拝します。神とムスリム達とをつなぐ人がいないことはその中に上も下もなく皆平等であるということでもあります。当然キリスト教の神父への告解のような神と信者をつなぎ犯した罪を悔い改めるような慣習もなく、自分自身で善行(良い行い)をして神と向き合います。また、礼拝も必ずモスクで行わなければいけないという決まりもありません。